mtzq.net [ デイタンソウ | PEAT BED ]

袋小路としての半島無理な注文を乞う可笑しさを笑う自分とはたんに 感覚や思念の 場にすぎないのだ邯鄲の夢記憶の海を漂う夢の断片ベガーズ・バンケット直立した姿勢から知覚された世界の類似物ではもはやなく、便宜的に垂直に置かれた情報のマトリックスTime Out Of Mind透明のはこが死だといふことも。人生ではじめに学ぶのは自分が馬鹿だということだ。人生で最後に学ぶのは自分がやはり変わらぬバカだということだ。夜汽車ゆく光圏来る氷柱去る氷柱記憶の分有は可能か?EXODUS・ニゲロヤニゲロもうずいぶんまえから、私は私ではない。人撰して一人也花の陰次々とこわれて行く図柄を図柄とする作品の可能性。作品の破れ目ができ、作品内の時間が作品外の時間とショートして火花を上げる因果応報の遠近法樹と 樹を見ること 夢はどちらにあるのだろう科学的アプローチブリコラージュ空は青く唇紅く傘さして出かける待つこと忘れることこうした移行を物化(すなわち万物の変化)と名付けるのだ。言語の搾取問題過酸化マンガン水の夢地球上で一番やさしい動物部品工場この夢の主は、死という名をもっているのではないか。くらげ小母さんさんが磯に泳ぎついた/象が彼女を愛してた鬼を出したと思った時は、自身が鬼になっているのです。だから、その鬼に対して済まないと思えばよい。世の中で済まないものを一人でも持っているというのは、幸福なことです。人は自分の欲望によって書く、そして私はまだ欲望しおえてはいないのだ。物語は受け手の側にある。こぼれおちるもの自然世界へ立ち返る画像は、通常の直立の姿勢で経験される感覚データを呼び起こすが、それによってルネサンスの絵画平面において垂直性がその本質的条件になっている盥から盥へうつるちんぷんかんぷん人は自分の欲望によって書く、そして私はまだ欲望しおえてはいないのだ。勝てばドイツ人だが負ければ移民おれはひとりの修羅なのだ隠喩としての断片のミルフィーユ手紙の形式による夢脳味噌までとろけた脊髄までしびれた私とは、わたしとわたし自身とのあいだのこの間である。わがいほはくちなはとはにからみあひサイノカワラデロックンロール思い出せない夢ストリップよ。あたしはすべての技巧派をケイベツする立場だもん。自己参照ループが検出されました難破した話少しずつ狂ってゆく私たちのなかには 無数のものが生きているお月様こんばんは脱進化論としてのシマウマダツタイヌ盥から盥へうつるちんぷんかんぷんカルマの円環構造鞘羽をしまう甲虫目に見えるものは見えないものの投影にすぎない。夢喰い虫言葉に躓くmental sketch modifiedフニクリフニクラフニクリフニクラ今流行っているロックは墓石なんだ。ロックは、10億ドルの墓石の商売に成長した現在の私も 過去の私も/異なるふたつの夢にすぎないうすばかげろぐじつはむかしのをんなツヌガアラストこの夢の主は死という名をもっているのではないか大津絵に糞落としゆく燕かな高級芸術とマスコミ文化の間の区別の解消をポストモダニズムと呼ぶこの上の望は目に見えぬものをぬすむことである。私は悪人になりまする、なりたうはなけれどならねばなりませぬいやならいやだと言っていいのだから。あたしが言おう物語は受け手の側にある。アサキユメミシエゴイストモンタージュ内またで歩くとき空がひらく文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である。田舎の未来派